What's new

常用漢字表漢字追加

Glenn

一切皆苦
8 Jan 2004
7,684
200
128
皆さんはもう聞いていると思いますが、先日常用漢字表 に196字の追加が文部科学省国語分科会によって決定 されました。私にとってこれはかなり大きなニュースで、読んで喜びましたが、一般的な日本人にとっては どんなものでしょうか。それは知ることができないでし ょうが、少なくともこのフォーラムにいる皆さんの意見を窺いたいです。削除決定の5 字は削除しなくても良かったと思いますが(特に他の漢 字の部分となる「勺」はね)。本当はもっと加えればよ かったです。 個人的には舊字體に戾ればいいと思いますが、 それは起こらないでしょうね。

日本人全般を代表するかは解りませんが、この人の意見はとても面白いです。色々当たっていると思って 、激しく同意しました。
 
パソコンの普及でますます文字を手で書くことが少なくなって「読めるけれど書けない漢字」が増えてきたなあと思いますが、使える漢字はできるだけ多くしてほしいというのが私の本音です。
常用漢字という枠があるために新聞や公の看板などにかな交じりの言葉が書かれていると違和感を覚えるのです。かなには意味がないので、どういう意味なんだかと首をかしげてしまいます。
たとえば「迂回」→「う回」。

ついでに言えばルビも復活させて欲しいなあ。
ルビがあるから漢字が読めなくなるなんて誰が言い出したのか知りませんが、実際はルビがないから正しく読めなくなるんだと思うので。
 
漢字の追加もそうですが、読みの追加ももっと早くやるべきだったと思いますね。「混(こ)む」とか「私(わたし)」、「全(すべ)て」が"常用"じゃないなんていう理由がわからない。:emoji_thermometer_face:
「聞く・聴く・訊く」とか「分かる・判る・解る」なんかもちゃんと使い分けるべきだと思うんですけどねぇ。

あとは個人的には「動植物の名前は原則カタカナ」って言うのもやめてもらいたいですね。「丹頂」とか「背黒鶺鴒」、「嘴太烏」なんて漢字を見れば特長が一目でわかるのに、「タンチョウ」「セグロセキレイ」「ハシブトガラス」だと何のことか一見よくわからない。これなんかも悪しき習慣だと思うんですが。:emoji_blush:
 
パソコンの普及でますます文字を手で書くことが少なくなって「読めるけれど書けない漢字」が増えてきたなあと思いますが、使える漢字はできるだけ多くしてほしいというのが私の本音です。

私もそう思います。そしてそういう考え方が今回の追加の背景にあったでしょうが、196字にとどまる必要はなかったはずですね。

たとえば「迂回」→「う回」。

運良く「迂」がその追加となった一字なんです。

ついでに言えばルビも復活させて欲しいなあ。
ルビがあるから漢字が読めなくなるなんて誰が言い出したのか知りませんが、実際はルビがないから正しく読めなくなるんだと思うので。

そうですね。オンライン新聞であちこちルビが使われるのを見るんですが、あまり使われていない気がします。ルビがあったら例えば「攪乱」が「かくらん」になってないでまだ「こうらん」と読まれるでしょう。「捏造」も同じですね。でも、そう言う私はいつその読みが変わったか知りません。

漢字の追加もそうですが、読みの追加ももっと早くやるべきだったと思いますね。「混(こ)む」とか「私(わたし)」、「全(すべ)て」が"常用"じゃないなんていう理由がわからない。:sick:

いかにもその通りです。含まれていない漢字を見たら愕然としたことは少なくありませんでした。そういった読みは尚更です。

「聞く・聴く・訊く」とか「分かる・判る・解る」なんかもちゃんと使い分けるべきだと思うんですけどねぇ。

私には「わかる」の使い分けは何となく判る気がしますが、説明しろと訊かれたら困りますねえ。

あとは個人的には「動植物の名前は原則カタカナ」って言うのもやめてもらいたいですね。「丹頂」とか「背黒鶺鴒」、「嘴太烏」なんて漢字を見れば特長が一目でわかるのに、「タンチョウ」「セグロセキレイ」「ハシブトガラス」だと何のことか一見よくわからない。これなんかも悪しき習慣だと思うんですが。😌

私も個人的には動植物の名前をカタカナで書くのをやめてもらいたいです。
 
みなさん、こんにちは。南木です。

個人的には、一般に使われる漢字が増えるのは賛成です。変にひらがなで書かれるよりも、漢字で書いてくれた方が意味が分かりやすいというのがその理由です。もちろん何でもかんでも漢字にというのは無理がありますが、でも普段からよく目にする漢字や日常で使われる漢字は、ひらがなで表示して欲しくないです。😌

でも、漢字に弱い人や、日本語を勉強している人には、覚えなければいけない漢字が増えるのは大変なのでしょうか?😊

南木
 
南木さん、お久しぶりです!お元気ですか。

でも、漢字に弱い人や、日本語を勉強している人には、覚えなければいけない漢字が増えるのは大変なのでしょうか?😊

そうですね。ですが、その人のためにundrentideさんが挙げたルビのことを使えば問題ないでしょう。(印刷したり書いたりする人にはお手数ですが・・・)それに、能率的な勉強方法を見付ければそう大変じゃなくなると思います。私の貼ったリンクにあったように、語呂を使ってとか、既に知っている字を使って複雑な字を覚えたりするとかすれば記憶にかかる負担が減りますね。
 
こんにちは^^

日本語そのものが、時代の流れで変化している、「曖昧」になってきています。
本来は違う意味の語であったものが、人によって同じ意味に捉えられていたり
どちらでも同じといったように、まさに「曖昧な日本語」になってきているようです。

なので、日本語学習者がネイティブの日本人に質問しても、時には明確に答えられないということも。
むしろ、日本語学習者の方が日本語をよく知っているという恥ずかしいことも・・・

漢字が増減するというよりも、もともとの意味を曖昧に変化していって欲しくないものですね^^;
 
運良く「迂」がその追加となった一字なんです。
そうでしたか!(ちょっとうれしい♪)
実はまだ今回の追加された字のリストにちゃんと目を通していないのでした... :p


漢字が増減するというよりも、もともとの意味を曖昧に変化していって欲しくないものですね^^;

本当にそうですねえ。
熟語の意味や諺の誤用が多くて、誤用から慣用になってしまうのではと心配になります。
「情けは人のためならず」が反対の意味で使われていたりしてびっくりすることが少なからずあります。
😌
 
ですよね。クイズ番組とか見てると、自分でも誤用に気付かずに使っていたものが結構あったりします。 😌
ただ言葉は生き物だから、誤用が十分に広まってしまってみんなが誤用の方を使い始めるとそっちが正解になっちゃうんですよねぇ。「新し(あらた)し」が「新(あたら)しい」になるとか、コオロギとキリギリスが逆になるとか。自分だけが「それは"あらたしい"が正しい」と言い続けても意味がないし。
「ら抜き言葉」なんかもそのうち標準の活用として許容されていくんでしょうねぇ。。。
 
す。
「情けは人のためならず」が反対の意味で使われていたりしてびっくりすることが少なからずあります。
😌
これについてですが、私は「いつも人にために何かをしてあげるんだったら、その人が自分でできるようにならないので、ためにならない」という意味だと思っていますが、それは新刊ラジオの「耳で立ち読み」というポッドキャストから実例を聞いて思うようになったことです。そういう意味が合っていますか。だったら、英語の「Give a man a fish, feed him for a day. Teach a man to fish, feed him for life.」という諺に意味が近いですね。
「ら抜き言葉」なんかもそのうち標準の活用として許容されていくんでしょうねぇ。。。
ちょっと話がずれますが、私はら抜き言葉を支援します。そして、京都弁の「はる」を標準語の軽い敬意を表す「(ら)れる」に代わって使えばいいと思います。だったら、「思われる」(尊敬語)が「思わはる」になり、曖昧さが完全に消えてしまうんです。「ら抜き言葉」が標準になったら受身形の負担する役割も減って、曖昧さもなくなっていきますね。現代の一段動詞の受身形に受身、敬意、可能(性?)、と自発の意味がすべて含まれているので、一つや二つを別の活用に移せばいいのではないかと思います。

勿論、Toritoribeさんがおっしゃった通り、言語というのは生き物なんで、人為的に変えるべきだとは思っていませんが(自然的な変更じゃなけりゃ駄目だと思います)、その方向に行けばいいなと思っているだけです。
 
これについてですが、私は「いつも人にために何かをしてあげるんだったら、その人が自分でできるようにならないので、ためにならない」という意味だと思っていますが、それは新刊ラジオの「耳で立ち読み」というポッドキャストから実例を聞いて思うようになったことです。そういう意味が合っていますか。だったら、英語の「Give a man a fish, feed him for a day. Teach a man to fish, feed him for life.」という諺に意味が近いですね。

・・・間違ってま~す 😌

この「情けは人のためならず」の人=他人なんです。(人間一般じゃなくて。)
情けをかけるのは他人のため(だけ)じゃなくて自分のためでもある、というのが本来の意味です。
情けは人の為ならず - Wikipedia
 
ああ、そうなんですか。ご説明ありがとうございます。やはり、ネーティブスピーカだからといって使っている言葉を信用できるわけではありませんね(語学者にとってはね)。その諺は最近よく間違って使われていると聞いていたので、私が聞いた例は正しいかどうか判りませんでした。
 
ちょっと話がずれますが、私はら抜き言葉を支援します。そして、京都弁の「はる」を標準語の軽い敬意を表す「(ら)れる」に代わって使えばいいと思います。だったら、「思われる」(尊敬語)が「思わはる」になり、曖昧さが完全に消えてしまうんです。「ら抜き言葉」が標準になったら受身形の負担する役割も減って、曖昧さもなくなっていきますね。現代の一段動詞の受身形に受身、敬意、可能(性?)、と自発の意味がすべて含まれているので、一つや二つを別の活用に移せばいいのではないかと思います。
確かに可能形にだけ「ら抜き言葉」を使うというのは合理的ではあるんですよね。分かりやすくなる方向に言葉が変化していると言えるかもしれない。

あと「はる」で思い付いたんですが、ここでも方言だと受身、尊敬、可能を使い分けてます。

これ食べんさらんでや?(=食べられませんか? 尊敬)
今歯が痛ぁて食べれんだが。(=痛くて食べられないんだよ 可能)

みたいな感じで、軽い敬語のときは「なさる」の音便形の「んさる」が使われることが多いです。(もちろん「食べられんでや?」という言い方もあるんですが。)言葉は伝達の手段だから、意味が伝わりやすい表現が選ばれるということなんでしょうね。:)
 
おう、方言が出ました。面白いですね。私は方言が好きです。ところで、Toritoribeさんはどこの人でしたっけ。「ここ」って、どこですか。
 
名前からもわかるかもしれませんが、鳥取です。:)鳥取の地名は古代にこの地に置かれた役所/役職名の「鳥取部」から来ているそうです。尤も「とりとりべ」ではなく「ととりべ」と読むほうが一般的らしいですが。😌

前も書いたことがありますが、鳥取は東部と西部は古代から近世までは別の国(国家ではなく行政区分です。もちろん。因幡国と伯耆国)だったため方言がまるで違います。NHKの朝の連続ドラマのタイトルにもなった「 だんだん」は、ドラマでは「ありがとう」という意味の松江(島根の県庁所在地)の方言として出てましたが、米子(鳥取県西部の都市。かつての伯耆の中心部)でも使われてます。でも東部地方では全く使われないんですよねぇ。
 
Back
Top Bottom