夜というのが何のためにあるのだろうかと考えることが ある。眠りというのが何のためにあるのだろうかと思う ことがある。夜や眠りによって区別される今日と明日と のちがいが何のためにあるのだろうかと反省することが ある。
だが明日という日今日と違ってあればこそ、我々、生 きる上で随分、助かっているようだ。今日、起こったい やなこと、不愉快だったこと、後悔の種になったことが 、夜と眠りとの時間のくぎりのおかげで、どうにか鎖ま り、やりなおしの希望がわいてくることがよくあるものだ。
こうした毎日の経験から生まれたのが日本人の場合は 「あらたまる年」の考えだろうし、西洋人の場合は「復 活祭」なのであろう。歳がくれ、大晦日の夜、部屋をき れいに掃除して、松を飾る。あの感覚のうしろには西洋 人の復活祭と同じものがひそんでいる。やりなおせる希 望なのである。 ...
だが明日という日今日と違ってあればこそ、我々、生 きる上で随分、助かっているようだ。今日、起こったい やなこと、不愉快だったこと、後悔の種になったことが 、夜と眠りとの時間のくぎりのおかげで、どうにか鎖ま り、やりなおしの希望がわいてくることがよくあるものだ。
こうした毎日の経験から生まれたのが日本人の場合は 「あらたまる年」の考えだろうし、西洋人の場合は「復 活祭」なのであろう。歳がくれ、大晦日の夜、部屋をき れいに掃除して、松を飾る。あの感覚のうしろには西洋 人の復活祭と同じものがひそんでいる。やりなおせる希 望なのである。 ...